心のざわめきをなくして日記を書くということ by secondlife
これらの機能は心にざわめきをおこし、人気が出ると嬉しい。人気が出る記事や写真を意図的に考える。うれしいざわめきは、中毒症状をおこし、Notification のタイムラインをリロードする日々だ。そして投稿が自分の期待値を下がると悲しい。これらのざわめきを起こす機能を持ったサービスを使うと、常に他者からの評価とともに生きることになる。
若い頃は、そんなざわめきが楽しかったりもしたのだけど、今はどうだろうか?投稿後、ざわめきが気になってしまうことは良いことなのだろうか?
と、ソーシャル連携を切ったり、はてなスターを非表示にしたりするうちに、こちらのほうが日記を書けることに改めて気づく。「評価されない」ことが前提だと、評価されることをそもそも期待すらしないので、心がざわめかない。知り合いが「見たよ」とか声をかけてくれたり、妻が写真美味しそうだね、と言ってくれる、何気ないコミニュケーションで十分なのだ。
ぼくも Scrapbox で日記を書く生活を続けていて、ここに書かれている内容におおいに共感する。パブリックな場所に書くのは「見てほしい」というよりは「見られてもいい」に近い感じ。別に隠さなきゃいけないようなことは多くないもんね。
並び順を Date last visited にする以降、誰かはわからないけれど誰かが定常的に /june29 を訪れているのだな、というのは感じられるようになった。これは渋谷のスクランブル交差点の映像を見ているような気分で、これのために書いているという気分にはならないのでちょうどいい塩梅だと思っている。そして、自分も忘れていたページが掘り起こされてきて「おもしろそうなページ!」となって自分で読みにいく体験につながっているので便利。